『話せば誰でもわかってくれる』
それが思い上がりと大きな勘違いと知ったのはいつだっただろう。
諦めや妥協ととるか
理解や覚悟ととるか
それは時にゆらゆらと揺れているけれど…。
『一緒にいるため』
そのためには必要なことだった。
そこまでしている価値を問われると弱さや打算も見え隠れしているのを認めざるを得ない。
『楽しければいい』
そう覚悟したつもり。
それ以外を代償にしたとしても。
その手には何もない。
わたしには何もない。
だから自分で幸せの妥当な位置を決めた。
無理はしない、その代わり無茶で自分を壊すこともない。
幸せかときかれれば笑えるし、不幸かといわれたらそんな気もする。
考えることは大事なようで、大半不毛なことのようにも感じる。
1人思いを巡らせていてもその場にうずくまったままでは何時間たとうが何も変わらないから。
『忙しいほうが余計なことを考えなくてすむ』
といったのはテレビの中の誰だったか。
暇さえあれば答えのない、出口のない迷路に自分から身をおくことはそう「余計なこと」かもしれない。
「もし」「~なら」
を考えるより今の幸せを感じる心を大切にしたい。
たまに迷子になって本心が自分でもわからなくなってしまうけど。
やっぱりわたしは「今」ここにいて。
「先」はまだわたしじゃない。
信じて、信じたい、信じさせて、信じよう。
揺らいだって正解じゃなくたって、周りと差を感じたっていい。
これがわたしの幸せの形だってわたしが信じてあげよう。
駄目ならまたその時考えて、違う方向を選べばいい。
人のせいにするのやめよう、自分で選んだんだ。
誰かに幸せにしてもらおうなんて考えは捨てたいんだよ。
すぐ現実から逃げようとする自分はやめたいんだよ。
あぁ、考えることをやめられたらいっそ楽なのに…なんてほらまた現実逃避。
うふ。
………なんとなく「うへぇえ」と吐き出したかっただけなので(笑)
意味がわからない文章ですが私にとっては整理整頓、頭の体操
あんま気にしないでね(笑)
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